どのように生きるか ナグネ牧師
森下滋協力伝道師です。
昨日は一週間ぶりの日本語礼拝でした。
先々週の野外礼拝がとても恵まれた素晴らしいものだっとの報告を受け、良かったなあと思います。
来年は、私も是非ご一緒したいです。
学会発表が続く中、一年でも一番多忙な時期であるとの事ですが、ナグネ牧師による使徒言行録の連続講解説教が続いています。
本当ならば、説教者が説教要約をまとめてくださると、説教者の意図をうまくお伝え出来るのですが、現時点では難しいので、
私が不定期ではありますが、説教の聞き所をお伝え出来ればと思います。
あくまでも私が聞き取って、私が聞き取った説教を再構成した文章であります。
どのように生きるか
詩篇102:20-28
使徒言行録20:17-24
2018年05月27日 セムナン教会日本語礼拝部ナグネ牧師
一期一会。日本の茶道の精神である。
今生の別れ。使徒パウロは愛するエフェソの長老達を呼び寄せ、今生の別れを告げ始める。もう生きて会う事はないであろうという決意の中での別れ。私たちなら何を伝えるであろうか。
パウロは主に仕えてきた。主に仕える事の中心とは礼拝である。しかし主に仕える事は礼拝だけには留まらない。あなた方に仕える為にパウロはアジア州にやってきた。
主に仕えるとは、あなた方に教え仕える事と、全ての人に仕えるという事である。
パウロはユダヤ人にもギリシャ人にも、主に対する信仰を証ししてきた。
私たちはどう生きるか。
証しをする事には勇気が必要である。
苦手な人もいるであろう。
かつての私は、主に会ってこう変わった。それが今の私であると、いうような一つの証しのパターンがあるのではないか。
この私にはそのような体験も語れるような内容も無い。だから証しなんて出来ない。
しかし、そうであろうか。
一つの証しのパターンと思われる中に潜む、一つの落とし穴に気をつける必要がある。
それは、ただひたすら自分を証しするという危険性である。自分の事を語ってしまう誘惑でもある。
私たちが証しする事は、私たちが出会った主イエスキリストである。
パウロも自分の苦しい体験を持ち出してはいるが、語っている内容の中心は、パウロが出会った主イエスである。そして神に対する悔い改めである。(v21)
パウロは霊に促されてエルサレムに向かっている。迫害にあったエルサレム教会は貧しいのである。霊はこの先には投獄と苦難が待ち構えている事を予めパウロに伝えている。しかしパウロは主から与えて頂いた福音を証しする任務を果たす事が出来るなら、自らの命すら惜しいとは思わないと告げる。(v24)
主イエスの姿と重なる。
二人ともその足をエルサレムに向けた。
困難が待ち構えるエルサレムに向けて。
殺されに行くのだ。
これがあなたの任務であると主の霊はパウロに告げた。
みなさんに与えられた任務とは何であろうか。
パウロだけではなく私たちにも任務が与えられている。
個人的な体験や人生の様々な事柄は互いに違えども、私たちには共通した任務が与えられている。
それは、主イエスから与えられた神の恵みである福音を証しする事である。
自分だけを証しするのではない。
主イエスがどのようなお方であるのかをただ伝えることである。
そして、その証しはあなたにしか語る事の出来ない事が含まれている。
恐れずに証しを行おう。
主イエスを証しする時、あなたもあなたの家族も救われる。
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